本、ホームページ、ブログ、そしてTwitter 〜 Twitterは壷を埋める最後の水? 〜

最近、Twitterにはまっている。最初に見た時は、地面に穴を掘って底に向かってつぶやくシステムのような印象を受けてしまって、誰が使うのだろうと思っていた。

タイトルに書いたように、情報発信・収集の手段が増えてきている。この流れを少し整理して考えてみた。

情報発信のコスト、情報量の閾値の低下

Twitterは、情報発信のコスト(手間)を大幅に引き下げた。

本の場合(特に洋書)は、本の初めの謝辞の部分に、本を書くにあたり家族に迷惑をかけたとの記載が多い。和書でも、編集者に苦労をかけたとの事が書かれている事が多い。
ホームページを作る事が流行った時期でも、ホームページの更新のために、友人等と過ごす時間を削っている人がいた。
ブログの場合、手間がだいぶ減ったが、文章の構成等を考えないと読んでもらえないので、それなりに考えて、投稿する必要がある。

Twitterの場合、文章の構成を検討する必要がある程の長いものは書けない。このため、Twitterで発信するための時間をあえて作る必要がない。(返信に時間をかけている人もいるが...)

また、情報を発信するための情報量の最少量を引き下げている。

本は、100ページ以上の量がないと出版されない。ホームページでは、10ページ分以上の量がないと巡回してもらえないだろう。ブログの場合でも1ページ分ぐらいの量がないと、読者になってもらえない。(改行がやたらと多いブログがあるのは、そのせいだと思う)

Twitterの場合、最大で140字分である。本のように1つのテーマである程度のネタの分量がないと発信できないということはない。

新着情報の取得の容易化

Twitterは、新着情報を取得する手間を減らした。

本の新刊情報は、広告や新刊予定のパンフレットや書店の店頭で確認する等の手間がかかった。ホームページでも、定期的に見に行くか、自動巡回ソフトを使って確認しないといけなかった。ブログてもRSSリーダーを使えばある程度は楽に見れるが、RSSリーダーを起動する必要があるし、どのRSSを読むかを考えなければならなかった。

Twitterの場合、タイムラインを追うだけで、全てのフォロー対象の人の情報を取得できる。しかも、自分が発信する時に同時に最新情報の確認ができる。ブログ等の場合、ブログを読む時間と書く時間は分かれているが、Twitterの場合は、これらが同時に行われる。

情報のS/N比の低下

ただし、Twitterにも向かない事はある。手軽に情報発信される分だけ、有用ではない情報を読む事になる。

本の場合は、出版社が情報の有用性について、ある程度は判断してくれている。ホームページやブログの内容は、Google等の検索システムが規則に基づいて判定している。

Twitterのつぶやきの場合は、判定する方法が少ない。
フォローされている人の数で判断する等の方法もあるが、有効とは限らない。

壷を埋める最後の水?

改めてこれらの変化を見ると、情報量が段々と小さくなってきて、消費する時間が短くなっている事が分かる。

この事を考えると、壷にものを埋めていく話を思い出す。本が石で、ホームページやブログが砂で、Twitterが水なのかもしれない。それから、本当に大切なのは、本を読む時間をちゃんと確保する事ではないだろうかと。

Twitterの次はあるのか?

Twitterは、壷を埋める水なのだろうか? もっと手軽に情報交換する手段はないのだろうか? しばらくはこの点について考え続けたい。

Twitterは、コミュニケーションの道具でもある。

ここでは、Twitterを本やブログと比較してみた。でも、手紙や電話やEメールと言ったコミュニケーションの道具と比較してみると違った側面が見えてくる。だから、Twitterは面白いのかもしれない。