状況の変化や自分自身の変化に気付かない事の恐ろしさ 〜 『日本「半導体」敗戦』を読む


を読んだ。

半導体の日米貿易摩擦とか言っていた頃が懐かしい。

日本のDRAMが強かったのは、メインフレーム向けだった事を知って驚いた。
日本企業はオープン・サーバやPCの時代には全くついて来れなかったのか。Windows 95の時代の自作PCのパーツに日本製のメモリを組み込んでいなかった事を思い出した。その当時は、単に自分が金をケチり過ぎて日本製を買えないだけだと思っていた。実はそうではなく、既に日本製品が競争力を失ってしまっていたとは。

状況の変化に気付かない事の恐ろしさ

メインフレーム時代のDRAMには壊れない事が重要視されていた。25年保証なんていう、今では信じられないような長期保証が求められてた。(25年前のスパコンは、今のPCよりもはるかに性能が低いのに)
PCの場合は、そこまでの品質は求められていない。なのに、日本企業は、その品質感覚で高価格な製品を作り続けてしまった。
メインフレームを買うお客とPCを買うお客とでは全く別種のお客である。違うお客には、違った品質のDRAMが必要なのにそれに気付かない顧客軽視の失敗が痛々しい。
この手の失敗の理由と実例とについては、「イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)」のシリーズが詳しい。
本には記載されていなかったが、DRAMのメモリのコスト構造も大きく変化していた事に気付いた。1985年当時は、メモリの価格のほとんどは開発費で、無限個のメモリを製造すると価格は0円になるとまで言われていた。だから、製造コストを下げる努力をするよりも、早く高性能のメモリを市場に送り込んで少しでも大量生産する事が重要だった。しかし、今では設備の費用が6割近くを占める。こうなると如何に少ない設備投資で大量の製品を製造するかが重要になってくる。この辺の変化については、著者の湯之上さんは忘れているようだ。
人件費は開発・製造を合わせても2割以下なのに、人件費の安い海外に拠点を移そうという動きがあるのは愚かしい。

自分自身の変化に気付かない事の恐ろしさ

日本企業の半導体の歩留まりは韓国企業などに負けるようになってしまった。著者は書いていないが、日米半導体貿易摩擦が起きていた頃は、アメリカに比べて製造技術の高い日本企業の製品の、歩留まりの高さは圧倒的だった。それがいつの間にかライバルに負けるようになっていた。
原因は、日本企業の強さの源であった製造現場を軽視するようになったからだろう。一般に昔の日本企業の製造部門は、開発部門に対して作りにくい設計をさせないチェックをする力を持っていた。しかし、製造を誰でもできる作業とみなし、派遣や偽装請負に置き換えて、製造技術を誰でもできるレベルにまで下げてしまった。

ものづくりの現実と幻想

「現実が空洞化すると、幻想が肥大化する。」と数学者の森毅は言った。
製造業なのに製造現場を軽視し、製造技術の空洞化は多くのメーカーで進んでいるだろう。それに対して、マスコミや政治はものづくり大国の幻想を肥大化させているように思えてならない。